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花王でインターネット一筋20年。時代の変化を無理なく楽しむ仕事観

花王でインターネット一筋20年。時代の変化を無理なく楽しむ仕事観

広告制作会社、日本マクドナルドを経て、2000年に花王に入社し、企業のインターネット活用の変遷を第一線で見つめ続けてきた板橋 万里子 氏。本連載「いまや講演依頼が殺到の若手マーケター! きっかけは会社がくれた小さなチャンス」に登場した廣澤祐氏の新卒時代の上司に当たる。

現在は、花王のメディア企画部 デジタルメディア企画室の室長として、10人の部下を率いている。企業のインターネット活用とともに歩んだ20年の変遷と人材育成、残りの会社員生活で何を目指すのかなど伺った。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。

森田雄 & 林真理子「Web系キャリア探訪」とは?

「花王でインターネット」という人材募集に惹かれて2000年に入社

林: Webに触れたきっかけから教えてください。

板橋: 1996年に結婚しましたが、夫がパソコン好きで、「ゲートウェイ」というパソコンを持っていました。そのパソコンを使ってインターネットをしているのを隣で見ていて、自分でも少し触ってみたのが最初ですね。ゲームなどで遊んでいました。

森田: ゲートウェイといえば牛柄のパッケージですね。当時、たくさん宣伝されてましたし、持ってる人もけっこういましたからね。懐かしい。

林: 板橋さんの経歴を拝見すると、最初に広告会社、次に日本マクドナルド、3社目が花王なんですね。花王には2000年に入社されていますが、どういったきっかけで転職したのですか?

板橋: 花王への転職のきっかけは、求人誌でした。といっても、自分が転職しようと思っていたわけではなく、友人が海外に出向になり、帰国したら転職活動をしたいから「求人誌を買いだめしておいて」と頼まれたんです。求人誌を買って、最近の求人はどんな感じなのかなと思って読んでみたら、見開きで花王の求人広告がありました。

その時のメッセージが「インターネットを一緒にやりませんか」という内容でした。2000年当時、花王とインターネットという組み合わせにピンとこなくて目が留まりました。夫がパソコン好きということもあり、話をするなかで「これからの世の中はインターネットだよね」となり、試しに履歴書を送ったところ、トントン拍子で話が進み内定しました。マクドナルドに在籍中だったので、あわてて会社に退職を伝えて、転職しました。

花王 メディア企画部 デジタルメディア企画室 室長 板橋 万里子 氏

花王 メディア企画部 デジタルメディア企画室 室長 板橋 万里子 氏

新しい広告の形に惹かれてマクドナルドに転職

林: 花王への転職は偶然、目にした求人広告がきっかけだったのですね。最初の広告制作会社はどういった理由で入られたのでしょうか?

板橋: 子どものときからテレビCMが大好きだったので、広告を作る仕事がしたいと思って、新卒でテレビCMの制作会社に入社しました。4年ほど働きましたが、長時間労働が当たり前、女性のプロダクションマネージャーはいない、という時代です。CMづくりのノウハウや全体的なことは理解できたので、次は作る側ではなく、作る過程に限らない広告の違う側面を手がけたいと思いマクドナルドに転職しました。

マクドナルドに入社したのは、これも求人誌がきっかけです。マクドナルドの店内情報誌の「マックジョイ」やトレーの上の紙「トレーマット」を広告媒体にするといった新しい取り組みをしていたので、挑戦しようと思いました。

森田: あ、僕、専門学校時代にマックジョイをよく読んでましたよ。

板橋: 本当ですか、うれしいですね。当時の上司が先進的な考え方をしている人で、店舗を媒体にするという考えで、マックジョイ、トレーマット、店内BGMなどを媒体として広告を掲載するような取り組みをしていたんです。

森田: 板橋さんの2回の転職は、どちらも求人誌がきっかけなんですね。

板橋: そうですね。明確なキャリアプランがあって選んだわけではなく、その時々で新しい広告の形があって、それに興味を持って転職してきました。

森田雄氏(聞き手)

森田雄氏(聞き手)

花王も手探りでインターネット活用をしていた2000年代初頭

林: 2000年に花王に入ったときの部署やお仕事はどういった内容でしたか?

板橋: 花王のインターネット活用を考えながら、実務を行うインターネット推進室という部署があり、室長が一人、メンバーが二人いました。メンバーの一人が本間充さんで、彼がシステムを担当していました。もう一人はコミュニケーションの担当で、それぞれの下に一人ずつ求人があったんです。私はコミュニケーション担当のほうになりました。

ちょうど、企業でWebをどう使っていくかを考える、Web広告研究会(現:デジタルマーケティング研究機構)が創設された時期で、花王もメンバーに入りました。

林: 花王は94年からホームページを持っていたようですが、板橋さんが入社されたときには、すでに運用しているサイトがあったのですよね?

板橋: それは本間さんが一人でWebサーバーを構築して作っていたものですね。その後、会社の正式な部署として、コーポレートサイトを公開しています。Webサイトをどうするのか、マネタイズをどうするのか、普及するのか、アクセスをどう調べるのかなど、時代の流れとともに、手探りで一緒に考えていきました。

森田: 本間さん、2000年の頃はサイト構築もやってらしたんですね。

板橋: 当時は、本間さんがシステムを担当し、私達はWebサイトにどんな情報を載せるべきかを考えたり、他媒体に広告を出稿したりしていました。バナー広告の制作から、入稿方法、バナーのローテーションの仕組みなど、勉強しながら進めていました。

森田: 2000年時点で、インターネット推進室があるところが先進的だと思います。ビジネス・アーキテクツでは、そういう新しい組織を作る支援活動もしていました。クライアントにインターネットの推進者がいらっしゃった場合、一緒に戦略、実装、デザインまでサポートするチームを作るんです。そうやって、組織をつくるところから併走していたのですが、そのステップ無しで、仕事を進められるのは先進的だと感じました。

板橋: 花王では、2000年当時インターネットを、テレビ、雑誌、新聞に加わる新しいメディアとして捉えていました。その当時はオウンドメディアという意識はありませんでしたが、自分たちでも情報発信できるようになった、ということは大きかったと思います。他媒体に広告を出稿して、自社メディアにユーザーを連れてくる、来てくれた人に満足してもらうためにコンテンツを充実させる、ということを考えていました。本間さんは、経営陣にアクセス解析でどんな人が見に来たかわかる、ということを説明し、インターネットの理解促進の一翼を担っていました。

林真理子氏(聞き手)

林真理子氏(聞き手)

時代にあわせて、最新の手法を取り入れてきた生き字引

林: Webサイトやインターネットの社内専門家チームという位置づけだったんですね。

板橋: 情報システム部との連携はありましたが、情報システム部はどちらかというと社内システム、インフラ保守、サポートがメインです。インターネットは社外とのコミュニケーションをするためのものなので、サーバー構築はインターネットの部署が担っていました。

森田: そこが先進的なところですよね。情報システム部は、保守、維持、安定運用することが仕事なので、その部署がインターネットを担うと導入系の話が進まない事例はわりとありますよね。

林: 社内では自分たちが一番の専門家という環境下、どのように情報収集して企業のインターネット活用を模索していかれたんですか?

板橋: 海外事例も集めましたが、Web広告研究会の存在が大きかったです。競合他社など含めて企業の垣根を超えて、インターネットやWebサイトを「どう使うか、何を発信するか、広告をどう出すか、どう効果を計測するか」そういった情報を会員メンバーの方と共有し、議論をしていました。

林: 板橋さんはいろいろなセミナーに登壇されていて、クチコミマーケティング、動画マーケティングなど、時代に合わせたテーマでお話しされていますよね。

森田: インターネットの生き字引的な存在ですよね(笑)。

板橋: 確かにそうかもしれません(笑)。お恥ずかしい限りです。mixiが流行っていればmixiとのコラボを、Twitterが流行ればTwitterの発信を、というようにインターネット推進室は時代によって形を変えていきました。すでに花王を定年退職されていますが、石井龍夫さんが、2002年にセンター長として異動してこられ「顧客のニーズに寄り添ったWebサイトを作る必要がある」ということで、コーポレートサイトとは別に、ブランドごとのサイトを全てのブランドで作りました。

その後も、石井センター長が、SNSが登場した時にはSNS室をたちあげたり、スマホ時代になり対応デバイスが増えたタイミングでデジタルマーケティングセンターに組織を変更したり、と時代に応じて組織や人を変えながらここまで来ています。

まずは自分が使ってみて、次に花王がどう使えるかを考える

林: 板橋さんの業務内容は、どのように変わっていますか?

板橋: 1社目から今まで広告から離れたことがなく、制作、媒体店舗、インターネットを使った企業広告と、技術や環境が進化しても、お客さんとの接点を作るという点で本質は変わっていない気がします。新しい広告表現が生まれたら、そこに移動しながら関わっていますね。

林: 次々に新しいものが出てきますが、どのようなステップを踏んで取り入れていっているんですか?

板橋: 新しいものが出てきたら、まずは自分で使ってみます。自分で使わないなら他の人も使わないかなという感じです。自分がどう接触しているかを確認して、花王やブランドが使うとしたら、どうするべきか、を考えていきます。

mixiを始めたときも、当時若い人が使うものというイメージがありましたが、実際にはコミュニティの中で猫の話をしている人が多い、ならば「ニャンとも清潔トイレ」の話をさせてもらってもいいかな、というように中身を確かめて、花王としてどんな取り組みができるかを考えてきました。使ってみないことには、ご一緒できるかわかりませんから。

森田: 既存のマスメディアの広告と違って、インターネットはインタラクティブで、フィードバックの具体が見えるので、ターゲットを意識した企画をしないとユーザーに受け入れてもらえないですよね。

板橋: そうですね、当時はテレビの広告枠のように、この時間はF1層に何GPRというような明確な数値はありませんでした。今は、リーチで露出効果を計れるので変わってきたと思いますし、社内の理解も進みました。

時代に応じて意識やリテラシーが変わるので、それにあわせて企業がどう向き合うか、幹部やマーケターに伝えながら会社としての関わり方を考えています。

廣澤さんのようなデジタルネイティブ世代が入社してきて、幹部も孫が使っているから自分も使うというように社内も変わっているので、それに合わせてガイドラインをアップデートして、活用のための研修を外部から専門家を呼んで開催することもしています。

今までの経験を活かして現場仕事もできる今の仕事がおもしろい

森田: 板橋さんは現在、どういうお立場なのでしょうか?

板橋: 私は、メディア企画部のデジタルメディア企画室の室長です。メディアのクロスリーチを考えたり、広告のプランニングを考えたりしています。たとえば、テレビCMにYouTubeを加えたときのインクリメンタルリーチはどのくらいか、といったことを試算しながら最適な広告プランを練っています。

以前はデジタルマーケティングセンターに所属していましたが、今は役割を終えて整理統合され、それぞれの役割ごとに部署が編成されました。デジタルマーケティングが社内に浸透してきたこともありますし、また専門部署があることが逆に、全社的なデジタル活用の弊害になる可能性もあります。専門部署があるとどうしても、「自分たちは知らなくても、そこに聞けばいいんだ」となり他人事になりがちです。

今は、マーケターのデジタルリテラシーが上がって、デジタル広告やオウンドメディア運用が社内に根付いています。

森田: デジタルがマーケティングの標準要素になったということですね。デジタルマーケティングセンターという部署があり続けると、Webガバナンス専門部署になっちゃうみたいなことになりがちで、おもしろくないですからね。大きく構えられるような名称にしていくのは時代に即していると思います。

板橋: インターネット推進室からデジタルマーケティングセンターになった際も、新しいメディアを活用するためのガイドラインの策定などは重要な仕事と思ってやってきました。今もガイドライン策定などの仕事は持ったまま、メディア企画部でデジタルメディアを担当しています。なお、私の上には部長がいて、その上が役員という組織構成です。

林: 一定の決裁権限を持って現場を率いる役割ですね。部下は何人いて、人材育成としてはどんなことをやっているのですか?

板橋: 20代~50代までの10名です。人材育成は、デジタルマーケティングセンターの新卒社員第一号が廣澤さんで、そこから構築してきました。

デジタルマーケティングの人材育成で最初にやることは、SNSのソーシャルリスニングです。日用品を使う生活者は、日々どんなことをつぶやいているのかを、お題を決めて調査・分析してもらっています。

日用品といっても毎日シャンプーのことをつぶやいている人はいません。大掃除、衣替え、勝負のときのメイクアップなど、ブランドの課題に応じてソーシャルリスニングをしています。どういうワードが使われているのか、どんな文脈で話題になるのか、ということを最初の半年で調査します。

林: ソーシャルリスニングを通して、どのような変化がありますか?

板橋: それぞれの気づきがありますね。そもそもSNSで語られることがない、という気付きがあれば、どうすれば語ってもらえるのかを考えたり、モノではなく、コト軸で四季折々のイベントにあわせて話題になっているのであれば、それをブランドの課題にどうつなげられるかを考えたり、と人によって異なります。

森田: 実務の教育はどうでしょうか?

板橋: 少しずつ仕事をまかせてみたり、会議に参加してもらったりしながら花王の事業のことも覚えてもらいます。それに加えて、アクセス解析など実務に必要なことは、OJTを通じて覚えてもらいます。

学習機会の芽を摘まないことが教育に重要

林: 廣澤さんのお話では、いろいろな本を紹介されて読んだというエピソードがありましたが、それは現在も継続されていますか?

板橋: 廣澤さんの場合は、どれくらいデジタルやマーケティングに関するリテラシーがあるのかわからなかったので、最初は『ソーシャルメディアマーケター美咲』を読んでもらいました。彼は自らよく勉強するタイプなので、その後は私から課題図書を渡さずとも、自分から読んでいましたね。

廣澤さん以降の新人には、先輩から課題図書を出すようにしています。先輩が読んで役に立った本を紹介してもらえば、年が近い分参考になるだろうという考えからです。

林: 板橋さんのキャリア初期は労働時間が長かったというお話もありました。今は世の中の働き方も仕事観も当時からずいぶん変わりました。部下の業務時間外の勉強の是非についてはどうお考えですか。私たち世代は「業務時間外も貪欲に残業したり、新しい知識・スキルのインプットに時間を使ってきたりしたからこそ今がある」というのを成功体験として持っている気もするんです。でも、そういうステップを今、若手に強いるのも適切ではない。ではどうすれば? という課題感を持っているマネージャーも多いと思います。実際に育成する立場として、より合理的な若手育成についてどう考えていますか?

板橋: 世代で違うのは「ネット環境の有無」だけかなと思います。会議や仕事中にわからない単語が出てきても、さっと自分で調べられるので、わざわざ勉強の時間を持たなくてもある程度仕事ができるようになります。就業時間以外の勉強は本人次第ですが、オンオフの切り替えは必要ですよね。

私が気を付けていることは、学習機会の芽を摘まないことです。カンファレンスへの参加や登壇をしたり、ネットワーキングを通じて人脈を広げたりといったことです。かつては、「まだそんなところに出る歳じゃない」とか「新人のくせに必要ない」とかいった風潮もあったかと思いますが、新人なら新人なりに得るところがあると考えています。自分で行きたいと思えば行けばいいし、興味がなければ参加しなくてもいいです。ただ、業務時間内に行くのであれば、参加して得たことを皆に共有してほしいとは言っています。参加の機会は提供しますし、自分で見つけてきたものでも参加できるように、機会を提供しています。

振り返ってみると、最初のCM制作会社、2社目の日本マクドナルド、現在の花王と3社で働かせていただいた中で、それぞれ「理想の上司」に巡り合えました。それぞれタイプは違いましたが「常に先をみて広く状況判断をした上で、ある程度自由にさせてくれる」という共通点がありました。私もできるかぎり、「芽」をつぶさないようにと心掛けています。

50歳を過ぎて見えてきたもの。残りの会社員人生で何を残すか?

林: 20年同じ会社に勤めるのは、本連載の中では稀有な存在です。転職しなかった理由はありますか?

板橋: 私は花王のプロパーではなく3社目なので、転職のハードルは感じませんが、入社したタイミングじゃないでしょうか。入社が32歳で、そのあと出産もしたので、仕事と子育ての両立が優先で、転職どころではなかったということもあります。

また、インターネットの仕事はどんどん環境が変わって次々に新しいことをやるので刺激的で飽きなかったこともあります。目まぐるしく変化するインターネット環境や業界の中で転職しなければ「できない」ということが、なかったのかもしれません。キャリアアップのための転職というのは今まで一度も考えたことはなかったです。

森田: この先はどのように考えていますか?

板橋: 50歳を過ぎて見えてくることがあるとわかりました。残り10年の会社員人生で何を残せるかを考えるようになりました。昔は、「自分はあと何年しかないから」という先輩の言葉をきいて「責任放棄みたいで嫌だな」と思っていました。でも、自分自身のゴールが見えてくると、「これとこれをやらないと」と思うようになってきました。当時の先輩もネガティブな意味で言っていたのではなく、ここまでは自分でやって後は後任に引き継いで行こうと考えていたんですね。

林: 板橋さんは、長く働き続けたいですか?

板橋: 第二の人生として違うことをしてみたいですね。別の仕事もいいかもしれません。今は残りの数年をかけて後輩が進んでいきやすい道を作って、人脈も含めて引き継ぎたいですね。残すもの、捨てるものを整理していきたいです。

二人の帰り道

林: 「越境学習」の先駆けですね。2000年代初頭から、企業の枠を越え競合他社とも膝つきあわせて情報・意見交換しては、それを持ち帰って試行・実践してこられた。風通しよい環境に身を置き、外からのインプットは自分で触ってみて中身を確かめ、それをどう自社で活かせるか自ら考えを膨らませて、社内に働きかけ試行する、試した結果を確かめては次に展開させる。そういう実直なサイクルの積み重ねで今のキャリアを築いてこられたことに敬服の念を抱きながら、お話を伺いました。若手の育成に関しては、個々の違いを大事にしていらっしゃるのだろうなぁ。「それぞれの気づきがあります」「人によって異なります」といった発言から、個々人を丁寧にみて、丁寧に関わっている様子がうかがえて、画一的に育て方を体系立てようとせず、個人ごとにチューニングしていける柔軟性が今後ますます大事になっていくのではないかと感じ入る取材でした。

森田: 僕は95年からインターネットの仕事をはじめていますが、板橋さんが花王に入られた2000年は、僕がビジネス・アーキテクツの設立に参画するために当時の前職から移ってきたタイミングでもあります。僕はずっと受託のデザイン屋なので、僕からするとクライアント側の立ち位置である板橋さんのお話を今回伺っていると、20年に亘ってこちら側から見てきたいわゆるコーポレートサイトのあり方ないし扱い方の観点と照合できたりして、なるほどなと思い返すようなポイントがたくさんありました。なんというか、僕がいうのも何ですけれども、まさに生き字引的存在だなと思いましたね(笑)。僕は自分の会社をやっているので、後任への引継とかはないんですが、ここまでにこれくらいは終わっておかないとみたいな目標設定はいいかもと思いましたし、別の仕事をアドオンしていくみたいなのも有りだよなと、新しい視野を頂けた感じです。またお話聞かせてください。ありがとうございました。

本取材はオンラインで実施

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