「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

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森田雄&林真理子「Web系キャリア探訪」

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「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

左から、岩崎電気株式会社 広報宣伝室 新井隆之氏、岩崎電気のマスコットキャラクターの「アイちゃん」、聞き手の林真理子氏、森田雄氏

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。

仕事をしていれば誰もが一度は考える転職。「照明メーカーで仕事人を続けるか、Web業界で新しいチャレンジをするか」。そんなとき、かけられた言葉がこれだ。

今の会社でやれることが、まだあるんじゃないか

この一言が腑に落ち入社から14年、岩崎電気株式会社のWebマスターとして第一線を走り続けている広報宣伝室 新井隆之氏が、今回の主役だ。

岩崎電気はスタジアムや道路など屋外の大型照明灯などを主力とする照明機器メーカー。その競合は巨大企業のパナソニック。商品では互角の戦いをしているのに、Webサイトが負けていたら商機を逃しかねない。そんな難題に挑み続ける新井氏にキャリアの積み重ね方や知識の学び方など話を聞いた。
聞き手:株式会社ツルカメ 森田 雄氏と株式会社イマジカデジタルスケープ 林真理子氏。
写真:永友ヒロミ氏

前職で導入されたPC端末との出会いがきっかけ

林: Webに触れたきっかけから教えてください。

新井: 90年代、前職のミスタードーナツにいた時、各店舗にWindows 3.1のパソコンが導入され、初めてPCに触りました。すぐに「おもしろい!」と興味を持ち、接客業よりもこっちのほうが向いているのかなと感じたんです。

29歳で退職し、プログラマーを目指して専門学校に入りました。Windows 95の頃で趣味でホームページなどを作っていました。1年勉強して派遣会社に登録していたのですが、なかなかプログラミングの仕事はなくて、教員にWebの仕組みやHTMLを教えるような仕事をやっていました。

その後2002年に、岩崎電気でWebを作る人を探しているという話があり、派遣社員として入ることになりました。最初の2年間が派遣で、そのまま正社員になった形です。

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岩崎電気株式会社 広報宣伝室 新井隆之氏

社内で変遷する部署名は、Webの取り扱いに困る世の中の縮図!?

森田: ちょうどその頃って、大企業ならWebサイトを持ってないとっていう認識になっていた時代ですね。どういう部署に配属されていたのでしょう。

新井: 入った時の所属は情報システム課でしたが、2か月くらいでマーケティング部のWeb推進チームという3人のチームになりました。

数か月後、組織が変わってマーケティング部の直下にあった広告宣伝課に集約されました。さらに1年後、広報室ができて、広報と宣伝がわかれてマーケティング部がなくなり、広告宣伝課が総務部の中に入りました。その後、経営管理部に広告宣伝課が移り、また広報室と広告宣伝課があわさって、広報宣伝室になり今に至ります。

森田: 会社がWebというものをどう取り扱うべきなのか、模索している様子がわかりますね。岩崎電気さんに限らず、業界的にも同じような状況で、人材育成の方針がいまだに不安定な理由もここにありますね

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森田雄氏

大きすぎる競合。それでも肩を並べなければいけない理由

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林真理子氏

林: 部署の異動や時代の変化にあわせて業務や仕事範囲は変わっていますか。

新井: 基本的には変わりません。現在の広報宣伝室は6人で、Web、カタログ、IR、ブランド、社内報を担当しています。私は仕事の100%がWebですが、カタログとWebを半々でやっているメンバーが2人います。

カタログは半年に1回更新されており、PDF化もしていますし、商品の9割にあたる約3万点はWebからも見られるようになっています。

森田: カタログがまだ強いんですね。

新井: お客様のなかには、カタログに載っている商品しか発注しないという方もいますし、カタログのほうが探しやすいという方もいます。カタログは数万部で刷りますが、すぐになくなりますね。

「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

岩崎電気のカタログ

林: Webの役割が広がっていくなかで、新井さんの課題や挑戦テーマにどんな変化がありましたか。

新井: 最初の3人のチームでは、まず商品をHTML化していくことがミッションでした。全商品の中から売れ筋の1300点を選定して、それを頑張ってHTML化しました。

だけど、お客様からは「全部見せろ」と厳しいお言葉が。確かに、お客様にとっては、売れ筋であろうがなかろうが、自社に必要な1点がWebに掲載されていないと意味が無いんですね。今は90%を網羅しており、お客様も納得しているレベルにこぎつけました。

また以前のシステムは、サイト内の検索クエリーを保持するためには、ブラウザのCookieを有効化しないと表示できないという仕様でした。企業のPCはほとんどCookieを許可していないので、お問合わせの9割がCookieの付け方についてでした。

「すべての商品がWebに掲載されていない」「アクセスができない」という基本的な課題があり続けたので、夢を語るような挑戦までいかなかったのが現実ですね。

森田: 課題を把握しながらも、システムを入れ替えず使い続けていたのですね。

新井: もともと、Webの受発注システムの一部を使って商品情報を公開しているという事情から変更ができなかったんです。

変えるきっかけになったのは競合会社の存在でした。「競合がやっているのに、岩崎電気さんがやらないなら、買わない」というお客様の声です。

実は、弊社の一番の競合はパナソニックさんで、弊社からみれば巨人じゃないですか。ですから、「そう言われても……」という思いもありました。でも、お客様は企業名でなくて、商品を見て比較して選定しています。弊社の製造部門も営業部門もパナソニックさんと戦い続けているなかで、Webは無理とは言えないですよね。肩を並べて戦わないといけないんです

上層部から「Webはそこまでやらなくてもいいのでは」と言われることもあるのですが、パナソニックさんと同等のことをやらないとだめだと説得しています。

育成において「自分と同じことができる」はゴールではない

林: 新井さんはWebの知識などはどうやって学んできたのでしょうか。技術の進化が激しいなかで日々の情報収集や体系だった学習はどうしていますか。

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新井: お話ししたように趣味のような形でWeb業界に入って、その延長で仕事になりました。趣味の延長とはいえ仕事ですから、最初は書籍などで勉強をしました。愛読書はHTML事典、JavaScript事典というような感じでしたね。

2004年にWebマネジメントフォーラム(一般社団法人企業研究会)が発足して上司と一緒に参加して、初めてガバナンス、マネジメントという考え方に触れました。

また、Web広告研究会(公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会)にも所属し、他の組織で実践している人たちの話を聞き、今度は自分たちの組織で実践していく、という積み重ねが血となり肉となりました。

それまでは、デザインがくずれているからどう修正するか、といった目の前のことしか見ていなかったですからね。

林: 社外に学びの場をもつ“越境学習”を取り入れて、ご自分で視野を広げ、視座を上げていかれたんですね。

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森田: 座学的に聞くだけでなく、自社での実践があったから身についたのでしょうね。技術的な点では、新井さんはWebの初期から携わっているから、仕組みからサイトの公開までといった一連の作業を全部知っていると思うのですが、新人の教育などはどうしていますか。

新井: 今からWebの勉強をして自分と同じくらいの知識を得るとしたら大変でしょうね。ただ、最近考えたことがありまして。かつては、「自分がいなくなったらWebサイトが回らなくなるから、辞めるならちゃんと引き継いでバックアップも残さないといけない」と思っていました。

ただ、その時間がなかなか取れなくて。でも、ある時ふと、「人が一人いなくなっても企業が回らなくなることはない」と気づいたのです。明日から別の誰かがやらざるを得なくなったら、その人のやり方でやるでしょう。それが新しいことを生み出す可能性もあります。

もちろん、他のメンバーにはその時々で教えていることはたくさんありますし、知識も身についていますが、「自分と同じことができるようにする」というのはゴールとして違うと思い直しました。

林: 40~50代の方には、90年代からWebの仕事に就いて、技術進化とともに段階的なスキルアップをしてこられた方が多いですね。その方々が今、若手に教える立場となり、「何をどこからどこまでどう教えたらいいのか」と悩んでいる話はよく聞きます。そういう方々にとって、自分と同じ学び方じゃなくていい、自分と同じことができる人づくりを目指さないという新井さんの切り替えは、一つのヒントになるかもしれませんね。

「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

「これは自分のページ」と愛着を持てるように、仕事を任せる

林: 人の教育・育成はどうしていますか。

新井: Webのメンバーは私含めて3人。2年目のメンバーは、Webへの興味や吸収力が高く、自分でやりたがっているのを感じるので、業務の中で本人に任せる部分を用意して担当してもらっています

気をつけているのは、「最初の設計だけ」や「既存コンテンツのメンテナンスだけ」というような仕事の振り方をしないことです。初期設計、メンテナンスの仕事も大事なんですが、それだけだとおもしろくないですよね。だから企画、取材、制作、公開までの全部を任せるようにしています。

サイトにどんな課題があって、どんな人に見てもらうページを作るのかという企画から、最後に公開ボタンを押すところまで、すべて1人に任せています。

たった1ページであっても、「このページは自分が作った! このページの内容は自分に責任がある」と感じてもらえればと思っています。愛着があればメンテナンスもやりますし。それが最終的に、このサイトは自分の責任ということになればいいですね。

10年目のメンバーには、Webデザイナーとしての制作の技術ばかり教えてしまって、ページの目的やゴールなどをきちんと伝えられなかったという後悔がありました。でも振り返ると、「こいつめちゃめちゃ伸びたな」って驚くときがあります。

僕の陰で目立たないようにしてますけど、たぶん他所にいけば一流のWeb担だと思います。また、2年目のメンバーが入ってきてから、10年目のメンバーも、責任感が強くなりさらに伸びたんですよね。

「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

森田: 新井さんの目論見がいい塩梅に作用して、人を成長させられたのですね。

林: 2年目の方が「自分でやりたがっているのを感じる」とか、部分的に振られても「おもしろくない」とか、学ぶ側の視点に立って、相手に応じた丁寧な関わり方をしていらっしゃる様子が窺えますね。自然体なのでしょうけれど。

実際には、ある程度まとまった仕事を用意して振るのって大変だと思いますが、できる所からやってみて徐々に増やしていけると良いですね。

森田: 知識については、どこまで覚えればいいのか、分野や範囲といった辺りが不明瞭ですよね。黎明期からやっている人は、自身の手でサイトを作ってきたので体で理解しているみたいなところがあって、感覚的に身につけるべき知識の範囲を把握していることが多いのですが、その肌感をうまく教えられなかったり。

林: 私は法人向けにWebリテラシーなどの研修を提供する仕事をしていますが、1社のなかでも知識にはかなりばらつきがあると感じます。社内の理解がないと予算が取りづらい、という問題はありませんか。

新井: 組織全体のITリテラシーについて、私は「必ずしも全員が正しく知らなくてもよい」と考えています。予算に関しては技術の話ではなく、お客さまが増える、売上が増えるという説明をしています。

事業部ごとにコンテンツオーナーがいて、Webマスターが統括するというような組織もありますが、弊社のような規模であれば、広報宣伝室がWebのアウトプットをはすべてやる、各事業部には取材に行く、というほうがやりやすいですし、品質も高くなります。

林: 自社の環境では、自分たちWeb専門部隊がどこの役割を担って、他部署とどう連携するのが最適かを、しっかり見据えて取り組まれているんですね。そこが明確だと、「他部署のリテラシーが低くて事が進まない」といった嘆きも減らせそうです。

「まだ会社でやれることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦――岩崎電気 新井隆之氏に聞いた

「まだできることがある」同じ場所にいるからこそできる挑戦

森田: 新井さんは今後のキャリアパスをどのように考えておられるのでしょう?

新井: いま47歳なので、定年もそろそろ見えてきていますよね。このままやれることをやっていきたいと思っています。

実は、35歳くらいのころ、会社を辞めようと思ったことがありました。照明メーカーの人間というよりも、Webやマーケティングの世界で生きていってもいいのではないかと思ったからです。そのころ社内でWebはいらないという雰囲気があったのも事実です。

当時いろいろな人に相談をしました。「独立しなよ」「うちに来なよ」という声もいただいたのですが、ある人に「今の会社でやれることが、まだたくさんあるだろう」と言われたんですね。それが当時の自分には一番腑に落ちる答えでした。

そして辞めずに続けることを選びました。その後、その人が亡くなってしまって。次をどうするか考える時はいつもその人の言葉が浮かび、「まだやれることがある」と思ってここに留まっています。いつか二人の後輩に、「もうお前がやれることはないからどっか行きなさいよ」って言われるようになったら最高ですね

――ありがとうございました。

編集後記:二人の帰り道

林: 人のキャリアについて話を聴く機会って、どうしても転職したとか独立したとか、わかりやすい変化をとらえたものに偏りがちです。しかし、新井さんのように「辞めずに続けることを選んだ」、仕事範囲は「基本的に変わりません」とおっしゃるにもかかわらず、自分で課題を作り出して同じ会社で挑戦し続けている方の話を伺えたのは、すごく貴重だったなと思います。時代変化に適応しながら、自社サイトの役割、自分のミッションを再定義して、それに応える仕事を積み重ねてこられたことが伺えましたね。

私は心理学者カール・グスタフ・ユングが遺した「人はみな、例外である」っていう言葉が好きなんですけど、人のキャリアってユニークなものですよね。今の時代はとくに、一社の中で係長、課長、部長と目指す人ばかりじゃないから、この連載でも下手にキャリアモデルをパターン化しようとせず、いろんな人のキャリア情報をそのままとって出しして、読者の方にいろんな人の部分部分をロールモデルとしてつまみ食いしていただけるような記事をお届けしていければと思っています。

森田: キャリアパスとかキャリアデザインみたいな話になると、会社を辞めて新天地に行くことがチャレンジだというふうに思われがちですが、同じ場所での5年目も6年目も、その都度ごとにまったく新しいチャレンジになりますよね。新天地だったら、5年目のチャレンジは5年後にならないと到達しないわけですから。

僕も、前職はビジネス・アーキテクツという会社で、設立から10年弱いたんですけれど、組織の最初から居て、変化させ続けて120人のスタッフを率いる、みたいなことをしてきました。もちろん今現在やっているツルカメという会社でもさまざまなチャレンジをしていますが、ビジネス・アーキテクツのような規模感でのチャレンジはこの先できるのだろうかなんて思ったりもするわけです。

今いる場所でチャレンジし続けること、それもキャリアの価値ですよね。新天地を目指すことも、同じ会社に居続けることも、どちらもキャリアパスとして正しい選択だといえるでしょう。まさに、「どこにいるのかではなく、何をやるのか」ですね。今回、新井さんのお話を伺っていて、僕も今できることからチャレンジを続けていこうって、かなりパワーをもらえました。今後もパワーをもらえるようなキャリア話を紹介していきたいですね。

次回は4月公開予定。次の主役は誰でしょう?

インタビュー:森田雄&林真理子、文:深谷歩、撮影:永友 ヒロミ、本記事は Web担当者Forum で掲載された記事の転載です。

株式会社 深谷歩事務所 代表取締役 深谷 歩
株式会社 深谷歩事務所
代表取締役
深谷 歩

ソーシャルメディアやブログを活用したコンテンツマーケティング支援として、サイト構築からコンテンツ企画、執筆・制作、広報活動サポートまで幅広く行う。Webメディア、雑誌の執筆に加え、講演活動などの情報発信を行っている。
またフェレット用品を扱うオンラインショップ「Ferretoys」も運営。