映像ディレクター山田健人氏インタビュー!ミュージシャンから求められる“思想を伝えるための映像制作”

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映像ディレクター山田健人氏インタビュー!ミュージシャンから求められる“思想を伝えるための映像制作”

映像ディレクター山田健人氏インタビュー!ミュージシャンから求められる“思想を伝えるための映像制作”
山田健人|映像作家/VJ。東京出身。バンドyahyelのメンバー。
慶應義塾大学法学部卒。同校大学院メディアデザイン研究科中退。dutch_tokyo名義でも知られる。

2017年、東京の音楽シーンで最も注目される映像作家と言えば、ブレなく山田健人だろう。映像制作は高校生の時から始めたが、大学は法学部・政治学科へと進学する。卒業後はフリーランスの映像作家として同世代のバンドのミュージックビデオを意欲的に制作し、バンドyahyelのメンバーとしてヨーロッパへツアーやFUJI ROCK出演と多岐にわたり活躍中。今年監督した宇多田ヒカルのMV「忘却 featuring KOHH」は、MTVのビデオアワードVMAJで「ベストコラボレーションビデオ賞」を受賞。現在25歳、またひとつ大きな世界へ漕ぎ出した。山田健人が今考える自身の在り方、映像に対する気持ちをインタビューを通してドキュメントする。

ゲームにアンプに映像。とにかく作ることが大好き

yahyel – Iron|dir:山田健人
自身やyahyelの状況を重ね合わせた「Iron」。「憧れは何も生まない」というのがテーマだ。

――中学生の時にはガラケー用ゲームの自作をし、そのゲームはランキングトップ20に入るほどの人気だったそうですね。パソコンをさわるようになった延長線に映像制作があったんですか?

中学の時はゲームアプリを、高校の時はアンプを自作したりしていたので、パソコンには強いヤツって周りから思われていて、実際、機械には強かったと思いますが、高校3年生の時に映像を頼まれて作ったのがはじめてです。

――高校3年生で作った映像というのはどんなものだったんですか?

イベント用で、文字がシャーッって動く当時流行っていた…。

――モーショングラフィックス?

はい。「映像も出来るんでしょ」って聞かれて、作ったことなかったけど、出来ないって言いたくなくて「やれるよ」って(笑)。うわ~ヤバいって、勉強をはじめました。

――どう勉強したのですか?

僕はアプリもアンプも映像も独学なんですが、映像に関しては、当時、日本語のウェブサイトに解説もなくて、After Effects(AE)やPremiere (PR)の入門書籍を読んでいました。あとは英語のYouTubeのチュートリアルを見て「ああ、なんとなく、こういう感じなんだな」って、ちょっとずつ出来るように。

――ちなみにそういう友達が周りにいたのですか?

正直いなかったです。

――学校ではどういう存在でした?

スポーツをやっていました。テニス、水泳、高校からアメフト。だからメインはスポーツなんです。趣味が音楽。アンプを作り始めたのも、音楽をいい音質で聞きたいって思ったからなんです。

――文武両道ですね。

そんな聞こえが良すぎます。

――完璧主義とか負けず嫌いだなって思いますか?

負けず嫌いというか、スポ根だと思います。一度決めたら、自分が満足出来るまで辞めない。だからプログラミングも電子工作もコレだってハマったら、自分が満足できるところまで辞められなかったです。

――それでいうと映像は、高3から数えて6年間になりますが、まだ、満足出来るところまで到達していないから挑戦し続けている感じですか?

そうですね。まだまだです。6年っておっしゃいましたが、大学の4年間はアメフト部で、学ランに坊主で週に6日練習をしていたから、映像のキャリアで言うと今3年目位の感じです。

――坊主!本気の部活だったんですね。

日本一を目指していたんで。最終的には関東で2位でした。アメフトって組織のスポーツで、フィールドは10対11ですけど、150人対150人で戦っているみたいなもんで、そういう単位で毎日頑張って、日本一を目指す美しさは全てだなって感じていました。それでアメフトはやり尽くした感があって、卒業間近、ずっと好きだった音楽を通して、趣味や映像でもうちょっとやれることあるなって思い始めたんです。

音楽が繋いだ友情と映像への道

Tempalay - Oh.My.God!!|dir:山田健人
機材レンタルからはじまり撮影、編集、監督も自身で手がけた作品。
超低予算のためキャストはFacebookで呼びかけ、自身やマネージャーも登場する。

――音楽が好きだと言うことですが、ご自身もメンバーであるyahyelとは学生時代に出会ったそうですね。

高校生の時から趣味でライブハウスに通っていて、大学2年生の時に、彼らと出会って。5人中4人が同じ学校で、「どういう音楽聞いているの?」ってところから友達になりました。サークルとかやってなくて、友達があんまりいない感じの、喫煙所で出会うパターン。1人だけ年下のメンバーがいるんですが、彼との出会いがまたすごくて。実は、小・中で通っていたテニススクールの仲良しでした。高校からはバラバラになって、僕はアメフト部、彼はバンドを始めていて、久しぶりに再開して「え!?」って(笑)。で、その頃、デジタル一眼レフのビデオの撮れるカメラが出たんです。

――キヤノンの7Dとかですか?

7Dや5Dは高くて買えませんでした。EOS Kissです。それを買ってライブのビデオやMVのようなものを撮るようになって、実写に心が傾いていきました。AEやプログラミングより、カメラのほうが感覚的に撮って繋いで、自分の頭にあるものを出しやすかったんです。

――yahyelでVJやMVを担当するもの自然の流れだったんですね。

そうですね。yahyelのプロジェクトが本格的に始動した時から一緒だったし、僕もMVみたいなのを作ったりしていたんで、「出来るんでしょ?作ってよ」って話が自然に出た時は、例のごとく「出来る、出来る、まかせい~」って(笑)。ライブをするとなれば「あ、じゃあVJとかやるか」っていう話になって、最初のライブからずっとやっています。去年の8月にはヨーロッパツアーに行ったんですが、それを機に正式にメンバーになりました。

――Suchmosのビデオも多く手掛けられていますね。

映像のキャリアを3年目として考えた場合、1年目にSuchmosがデビューしました。その頃はお金も無いし、がむしゃらで、でも、東京の音楽の現場には毎日のように行っていて。東京のインディーズっていう小さいくくりですけど、そこで「映像やっているヤツ」って言うと「山田健人」って感じにしたいなって本気で思っていました。

音楽だけで彼らの表現は完結しているのに、そこに映像を乗せるっていうのはすでにエゴだなって僕は思っているんです。なので、「自分、自分」っていうことよりも、曲の意味や、彼らがどこを目指しているのか、どう撮られるべきなのかってことを考えてMVを作るようにしています。だから、作風はバンドや楽曲によって違うんです。

Suchmos - PINKVIBES|dir:山田健人

――そこから、宇多田ヒカルのMVを手がけるまでに急速に人気が広がっていったきっかけは何だったんですか?

よくわからないですけど…でも、yahyelの活動を介して仕事になることが、感覚的に多いです。

身体性とクリエイティビティ

――ずっとスポーツをやってきた山田さんですが、フィジカルとクリエイティビティの関係について発見したことなんてありますか?

身体性は人間である限り何事にもリンクしていると思います。映像のアイデアを出す時、僕は紙に自由に書き連ねるんです。何も考えずに書くっていう練習をしています。または、ぱっと思いついたことを習字で書いたり。「豚丼」とか、なんでもいいんです。それを貼っておく。それが1週間後くらいに、アッ!てなるんです。「これだ~、使える~」って。「クリティカル・シンキング」や「デザイン思考」という考え方の引用で、目につくところに貼るのが大切なんです。

ルーティンな運動もあります。ライブや撮影前にやるんですが、それはアメフト部の試合前練習をコンパクトにした、3分位のシークエンスで、外に出て体を動かします。そうすると、それまで緊張していても、「自分最強」ってなって、会話も出来ないくらい集中力が高まる。そういうのは全てスポーツから学んできたし、スポーツの頃の自分って大切です。僕は、現象学っていう哲学の考え方が好きなんですが、そこでもフィジカルと思考は密接だと結論しています。

――他にもアメフト時代に学んだことで映像制作でも役に立っていることってありますか?

広く言うと、僕にとって映像は思想のための表現なんです。プログラミング、スポーツ、そして今は、映像で伝えたいことを表現する。「ずっと映画が好きで、自分には映像しか無くて」というタイプではないので、5年後は小説家かもしれないし、10年後は役者をやっているかもしれない。線を引きたくないし、そういう振れ幅って人間の魅力のひとつだと思っています。努力家と天才がいたとして、天才がぱっと出てきて全部をもっていくなんて、そんな理不尽な世の中ってないじゃないですか。努力したやつが勝つことを証明したい。だから今は努力をしないといけないって思っているし、この先映像を通してどうするかってこともすごく考えています。人間の挑戦する力。それが大きなテーマです。

――今まで挫折をかんじたことありますか?

うーーん。ないです。ソコだけが怖くて。だから死ぬ気でやる。誰でも最初から出来たものなんてひとつもないので。だから「出来ないです」って言わないんです。挫折は怖いけど、何をもって挫折かってのもあると思うし、自分は「こうなりたいから」ではなく、「こうなるから、何が足りない」っていう風に考えるようにしています。

世界を広く見るということ

米津玄師 - 灰色と青( +菅田将暉 )|dir: Kento Yamada
公開直後に100万回再生。現在、約450万再生を記録。

――法学部を卒業されていますが、学生の時にやっておいてよかったなってことはありますか?

法学部政治学科で政治の勉強をしましたが、それがよかったな~ってすごく思います。政治や世界情勢に対して自分の考え方を常に持つことは、生きていく上であたりまえに必要かなって感じています。それぞれがやっている表現を超えて、社会や地域にコミットするって大事なこと。それが、人が豊かになっていくということだと思うんです。

映像ディレクター山田健人氏インタビュー!ミュージシャンから求められる“思想を伝えるための映像制作”

――映像の道は、予定通りすすんでいますか?

1年前に初めて制作部や照明部っていう、映像業界の仕組みを知りました。それまで独学&自力でやっていたので「自分で、レンタルいかなくていいんだ!」って(笑)。そう思うと、5年後に実現するといいなって思っていたことを、今やらせてもらってる感じがします。想定よりも早く進んでいるから、過程でコケないように、修正作業は常に緻密にやらないとなって思います。

学生の頃は若くて、他人と比べていたけど、そういうことに価値がないことが、この1~2年の人生経験で分かってきました。映像を自分のためにやっているというよりは、誰かの気持ちも背負っていると考えるようになって、映像が自分の人生と融合していった。正解のないこういうモノづくりで他人と比べてもどうしようもないって思うようになりました。

――ディレクター業の、人気ビジネスな部分も避けて通れないと思うのですが。

「若手」っていうカテゴリーでくくられているとは思います。でも、正直、そういうところに対してとやかく思っても何の価値もないって、僕なりに確実に答えがでちゃっているんです。ディレクター同士で仲良くやっていいもの作れたら美しいし、日本の小さいフィールドで、やりあっていても何の意味もないし。もっと映像を豊かにしようよって僕は思うんです。そういうことをしていきたい。

――米津玄師の「 灰色と青( +菅田将暉 )」が、公開され早速話題になっていますが次なる目標は?

映画をやります!まずは年内に15分位の自主制作作品を始動させる予定です。

To Creator編集部
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