スタディスト・岸野雄一が贈る「正しい数の数え方」、パリ公演も実現させた多層的な表現の核にあるエモーションとは!?

岸野雄一スタディスト。1963年東京生まれ、音楽家/俳優/著述家等、多岐に渡る活動を包括する名称として“スタディスト(勉強家)”を名乗り、学生時代からポピュラー・ミュージック全般と映像に携わり、活動を続けている。現在、WATTS TOWERS(ワッツタワーズ)や「ヒゲの未亡人」などのユニットで活躍中。自身がプロデュースするレーベル“Out One Disc”を主催。東京藝術大学大学院・映像研究科にてサウンドデザイン論の講師を務め、神保町美学校では音楽講座全般のコーディネートも担当する。

スタディスト岸野雄一がプロデュース/脚本/主演を務める「正しい数の数え方」は、2015年6月7日にパリのデジタル・アートセンター ゲーテリリックで初演され、同年7月22日に浅草のアサヒ・アートスクエアにて日本公演が開催された。

1990年のパリを舞台に、万博会場で公演をする川上音二郎がひょんなことから時空を超えた冒険をする・・・という、子供向けのミュージカルの形態を取っているのだが、アニメーションやパペットショーなどの様々な視覚表現と、岸野氏率いるワッツタワーズやジョン(犬)による生演奏を融合させた、インタラクティブな試みが随所に感じられる意欲的な作品でもある。そして、チャーミングで少し奇妙なこの舞台作品から浮き彫りになるのは、岸野氏の多岐にわたる表現の根源にある、かたくななテーマだった。

■「オッペケペー節」は元祖・日本語ラップ!?

 

パリ公演での、ジョンと岸野氏

 

――「正しい数の数え方」という音楽劇を上演することになったきっかけは?
もともとのきっかけは、ゲーテリリックで子ども向けに年間を通しての展示をやるので、公演をやってほしいというオファーをいただいたんです。キュレーターが、僕がやってる「ヒゲの未亡人」の古くからのファンで、さらにジョンのファンでもあった。では、一緒にコラボレーションしたものを作りましょうということで、今回の公演が実現したわけです。

 

――そういった経緯があったんですね。
ただ、正式なオファーをいただいてから、6月のパリ公演までは3ヶ月しか時間が無かった。そこでゼロから作り出すのは無理なので、すでにある素材を組み立てて作ろうと。毎年1月11日に行っている私のバンド、ワッツタワーズのライブにジョンも参加してくれていたので、そのパートを拡大してショーにしました。アニメーションで歌詞の内容を視覚的に伝えよう、歌詞もMCも意味が伝わるようにフランス語の字幕を出そう、だとしたらあらかじめ台詞の形で決め込んでいこう・・・と、制限を加えていった結果、演劇的な要素の強いものになりました。ただ、演劇的な段取りがありつつも、そこにライブの自由さを与えたくて、かなりインタラクティブな要素を強くしたんです。技術陣もがんばってそこらへんをクリアして、自分がやりたいことを実現してくれています。

 

――川上音二郎という人物を狂言回し的な役柄として設定した意図は?
ちょうど去年、細馬宏通さんと大谷能生さんと僕の3人で、川上音二郎「オッペケペー節」のような、当時の処世節を捉え直して現代の視点でリメイクしてみようというレクチャーをやったんですが、それがすごく面白かったんです。実際に川上音二郎一座がパリ万博で上演した「オッペケペー節」など当時の音源を聴き返してみると、元祖・日本語ラップといいますか、現代に通じるようなアプローチをやっていて。

こういう歴史的な経緯を多くの人に知ってほしいという想いもありました。ただ、音二郎自身は波瀾万丈な人生で、すごく魅力的な人物像なんですが、僕自身が歴史上の人物を演じるということには興味がないので。だから、あまり配役という意識もないんですね。川上音二郎は単なるモチーフというか、それを使っていかに面白いことが出来るか、ということを考えて作りました。

 

――タイトルにもある“数の数え方”というのは、人生の最初に教わる・覚えることでもあり、社会のルールの最も根源にあるものでもあり、数を数えることが音楽のビート感にもつながっていく・・・そういった要素が、多重構造的に込められているなと感じました。
はい。それはかなり、僕の表現の根源的なテーマになっているところなんです。記号学・現象学に基づく、自分の考えを全部織り込んでる。もともと「正しい数の数え方」というのは、ワッツタワーズで演奏している曲のタイトルなんです。曲自体は20年ぐらい前に作ったものなんだけど、どこか僕自身のテーマソングみたいな感じになっていて。そういう意味でも、自分が今までに積み上げてきたものの集大成になりましたね。

 

「正しい数の数え方」
dir: 伊藤ガビン|pr/writer: 岸野雄一
パリから東京へと凱旋!岸野氏とジョンらが送る、時空冒険ミュージカル! パリ公演 トレイラーパリ公演 ダイジェスト映像

も合わせてお楽しみ下さい。

 

――今回、ディレクションを伊藤ガビンさんが担当されています。
ガビンちゃんとは以前から仲良くしてるんだけど、ちゃんと一緒に仕事をするのは、意外にも今回が初めてだったんですよね。今回、アニメーションの部分だけをとっても構造的に面白くて・・・。冒頭では、最新の技法によるアニメーションを使って、物語の世界の“中に入っていく”っていう表現。そして最後は古典的な技法を使って、物語の“外に出ていく”という表現で終わる。アニメーションという映像技法が、時空を超えたり宇宙に行ったり、あるいは距離というものをどうやって表現してきたのかということも裏テーマに盛り込まれている。だから、何度観ても楽しめると思います。

 

――起用されるアニメーションのテイストがそれぞれ違っていて、それをひとつの物語として紡いでいく編集感覚の面白さも感じました。
一人の作家さんに依頼して何かひとつのテイストで絞り込むよりも、いろんな絵の要素や表現の要素が入ってる方が作品自体もバラエティ豊かになるっていう逆転の発想ですよね。今年、東京公演に参加してくれたアニメーション作家の皆さんも観に来てくれたんですが、「今日初めて全貌がわかった」っておっしゃってましたね(笑)。

 

――色んなテイストの映像表現がある中で全体に統一感を与えているのは、キャラクターとしての岸野さんの存在によるところも大きいですね。
やっぱり生きている人間が全編を通してやってると印象も強いですし、それに引っ張られていろんなものが関連して見えてくる。あと、ミヤタケイコさんによるパペットもすごくよく出来ていて。僕自身がパペットになったり、また人間に戻って出てきたりするから、色んなアニメーションの絵柄で描かれていても、子供達も納得して観てくれるんですよね。

 

――ある意味では力技ではありますが、人間がパペットに変わる瞬間の工程や、仕掛けの裏側も舞台上で見せることで、子供達も納得しやすくなっていた部分もあったと思います。
基本的にはショーマンシップの強い人間なので、できるだけ完璧に、失敗なく表現を見せたいとは思ってるんですが、どこかしらに舞台裏が綻びとして見えてしまう・・・僕自身、そういう綻びの部分が子供の頃から好きなんです。パペットをやってて「後ろの人が見えちゃってるー」って感じで子供達に見えてしまうことで、「後ろでこうやって操ってるんだ?」っていうのも感じ取ってほしい部分ではあります。

 

――ライブ・パフォーマンスの表現に見え隠れする綻び、あるいは揺らぎやズレも大切にしたいと?
そこは人間の生きてる感覚が見える部分でもありますからね。メタ視点でありながら、冷徹さのない人間臭いメタがすきなんです。

 

――音楽や映像、パフォーマンスと表現する手段に垣根の無いところが、岸野さんの活動で一貫している部分かと思いますが、特に音楽と映像を組み合わせる時に留意していることはありますか?
細かい部分で言えば、音楽の拍のタイミングでアニメーションのカットを割らない。拍に合わせていくのは、快楽的な表現になってしまいがちなんです。クラブでのVJなんかはそうですよね。音楽の構造の事情を優先させると、映像に描かれる内実の部分が薄まって認識されてしまう。今回は舞台用のアニメーションなので特にそうしたんですが、実はこの先、舞台でも演奏したワッツタワーズの楽曲のミュージックビデオ(MV)を作る計画もあるんですね。そうなった場合は、逆にそういう快楽的な効果も使うかもしれない。それは技術として用いるか用いないかの違いなのでね。

■記憶と記録。随所に偲ばされた岸野流哲学

 

ミヤタケイコ氏によるパペットを操る岸野氏

 

――舞台の中では、実際に7インチのドーナツ盤をばら撒いたり、CGアニメでレコードの音の出る仕組みを解説したりと、アナログレコードをモチーフにした場面が印象的でした。古くからDJとしても活動されていますが、レコードが象徴するのはどういうものなのでしょう?
“記憶と記録”“再生と再表象”・・・常に自分の表現のテーマになっているんです。その関係性をどのように人に伝えられるかを常に考えています。

 

――記憶はパーソナルなもので、記録はソーシャルに共有できるものという違いはありますね。
そういうことです。そこをわかりやすく表すための題材として、レコードというのはとても象徴的で。今回の舞台でも、例えばあるシーン「2001年宇宙の旅」のモノリスのようにレコード盤が黒い壁みたいに地面に突き刺さっていて、そのレコードに触れることによって、そこに刻まれた記録が、あたかも自分の記憶としてあったかのように甦る。

また別のシーンでは、レコードに触れることによって曲が再生されて、そこで物語のキーワードになっているフランス語の“un deux trois(1・2・3)”という言葉を主人公が知るわけですが、もし観ていた子供の中に“un deux trois”がフランス語の1・2・3だと知らない子がいたとしても、舞台上で演じられるその様を見れば、あらかじめ知っていたかのように“un deux trois(1・2・3)”という言葉と意味を知るようになるんですね。

そういう仕掛けを随所に使っています。フランス公演ではソルボンヌ大学の進化論の学者ジョルジュ・メテリーさんも観に来てくれたんですが、「子供向けのシンプルな題材を、哲学的に大きく拡大して表現していて素晴らしかった」と、おっしゃっていただきました。

■はじめにありきは“伝えたい情動”。

 

「解決できないこと、説明できないことを子供と共有していく覚悟が大人には必要です」(岸野氏)

 

――今回の「正しい数の数え方」は、観終わった後、作品に込められた色んなメッセージや、岸野さんが考える表現とは何かということをゆっくり反芻して楽しめる作品になっていたと思います。そんな作品に対して、子供達がどういう感想を持ったのかも、とても気になるところです。
単なるいい話みたいな落とし所のものが、自分は嫌いで・・・。子供の頃から自分が目にしてきて記憶に残ってるものって、“なんだろう、これは?”って感覚を突きつけられる感じのものだったと思うし、そういう得体の知れないものを抱えつつ、成長していきたところがあると思うんです。

例えば藤城清治さんの影絵も、直截的になんらかの解答や教訓がそこから得られるわけではないとしても、いったい何なんだろう?って、若干の恐怖も伴いながら圧倒される。そこに藤城さんは、例えば宇宙の果て、生命の起源のような、大人も解決出来てないことも表現の俎上に乗せていくわけです。大人も説明できないような恐怖を子供と共有しよう。その覚悟が藤城さんは出来てたと思うんですよね。そういうものはやっぱり心に残るし、核となっていく。テレビ番組なんかとは違ってわかりやすく解決はしないものだけれど、「正しい数の数え方」が、お子さんたちにとって“何だったんだろう?”って考えるようなものになったら嬉しいですね。

 

――最後に、岸野さんが今後、挑戦してみたい表現はどんなものか教えていただけますか?
何を表現したいかっていう前に、まず最初にあるのは、核となるエモーションなんです。それはさっきの話の「大人も解けない謎」みたいなもので、僕自身が、表現したい何か?をつかみ取れているわけではない。その感覚/エモーションをお客さんと共有したいということなんです。エモーションを共有する上で、音楽やMCだけでは足りないから、映像でこの部分を補足しようとか、どうやって表現に落とし込めることができるかを考えていくんですね。この「正しい数の数え方」で、とりあえずやりたいことは全乗せでやれたので・・・きっとしばらくしたら別の表現方法への欲求が出てくると思います(笑)。

 

取材・文:宮内健

写真:永友啓美

編集white-screen.jp

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