「月刊 風とロック」100号記念! 箭内道彦インタビュー


箭内道彦:
クリエイティブディレクター。1964年、福島県郡山市出身。東京藝術大学デザイン科卒業後、博報堂を経て2003年独立、「風とロック」を設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE」リクルート ゼクシィ「Get Old with Me」など数々の広告を手掛ける。「月刊 風とロック」発行人。バンド「猪苗代湖ズ」のギタリストでもある。
写真:永友啓美

 

CMプランナー、クリエイティブディレクター、映像監督として話題の広告を世に送り出し、以前はNHKのトーク番組「トップランナー」のMCとしてお茶の間にも知られ、ロックバンド猪苗代湖ズのギタリストも務めるなど、多彩な顔を持つ、言わずと知れた広告業界の異端児、箭内道彦氏。このたび、自身のライフワークともいえるフリーペーパー「月刊 風とロック」創刊100号を記念し、2014年4月25日(金)から「箭内道彦 月刊 風とロック展~愛と伝説のフリーペーパー、その神髄~」が開催される。

 

「月刊 風とロック」誌面を彩ったインタビューや写真を厳選して展示する展覧会では、会期中に宮藤官九郎や長澤まさみなど豪華ゲストへの公開取材「〈生〉風とロック」が連日開催される。ライフワークの総集編ともいえる展覧会を目前に控え、「月刊 風とロック」について、そして箭内氏の広告に向き合う現在の姿勢について、お話しいただいた。

私財を投げ打ち、毎号0円で発行してきた「月刊 風とロック」


「月刊 風とロック」より。(左)2007年5月号 忌野清志郎(撮影:佐内正史)、(中央)2012年9月号 成海璃子(撮影:箭内道彦)、(右)2013年6月号 TOSHI-LOW&りょう(撮影:箭内道彦)

 

――「月刊 風とロック」の100号を記念した「箭内道彦 月刊 風とロック展~愛と伝説のフリーペーパー、その神髄~」開催おめでとうございます。

100号おめでたいです。

 

――毎号0円、私財を投げ打って作ってきた「月刊 風とロック」。箭内さんにとってどんな存在であり続けたんでしょう?

“好きな人しか載せない”っていうそれだけを決めていて、載せたい人がいなくなったらやめようと思って始めた雑誌ですが、今のところ全く止める気配がない(笑)。その人たちのことを僕がどういう風に好きなのかっていうのを、みんなに知ってほしい気持ちで作っている月刊誌なんです。それって“広告”っていう行為なんですよね、僕にとって。あとは0円っていうのが自分にとっては大きくて。

 

――無料にこだわる理由は何ですか? 毎号数百万円の私財をつぎ込んで作られているそうですが、100号となると少なく見積もっても1億円(!)くらいいきますよね。

いくつか理由があって、1つは0円っていうのは“安い”っていう0円ではなく、プライスレスの0円なんです。自分にとっては1冊1億円の価値があるというか。あとは、イベントでも仕事でも「何人お客さん来るかな?」「商品、どれくらい売れるかな?」って日頃そういう心配ばっかりしているので、そこから解放されたかったというのはありますね。0円だから誰にも文句言わせない気楽さがある。それに、0円だから「下手な編集だな」とか「あまり面白くない」って言われても「別にもらわないでください」って言えちゃう気持ちが、始めた頃は大きかったです。

そんなわけで、すご~く曖昧な日に出るんですよ、「月刊 風とロック」って。5月号なのに8月に出たり、配送代がもったいないから8月号と9月号を一緒に出したりとか(笑)。

 

――毎号好きな人だけを載せるというのを100号続けて、振り返るとどうでしょう?

好きなものを好きでいるとか、何も制約がない時に自分は何を作るんだろうってことを毎月確かめることが出来ましたね。つまり、自分が純粋でいるための装置だったんですよね。「月刊 風とロック」を作っている気持ちで、CMを作ったりTVに出たり出来ているのだろうかって考える基準値であり、自分のペースメーカーになっていたんですよね。

 

――博報堂から独立された2003年に「風とロック」という会社を立ち上げて、2005年から「月刊 風とロック」を発行していらっしゃってますが、独立当時から予定していたんですか?

それは思っていなかったです。始めた当時はとにかく「お前何やってるの? わけわかんない」って言われたかったんですよね。博報堂を辞めた時も、意味不明な独立の仕方をしたくて原宿に事務所を構えたんだけど、誰でも入って来られるようにショップにして、そこにカウンターをつくって打ち合わせをしたりしていた。

そんなことをやっていたらTOKYO-FMが声を掛けてくれて、僕がパーソナリティを務めるラジオ番組が始まって、その時に、やっぱりメディアっていいなって思ったんですよね。怪しまれずに話を聞きたい人に会えるんですよね、載せる場所があると。親しい友人でない限り「○○さん最近何してるのかな? ちょっとお茶でも飲みながら話したいな」って思っても、日々に忙殺されてお互い先送りになってしまうでしょ。でも、メディアがあると“会う切符”になるんです。

ラジオの番組をやっている時にそれに気が付いたんですよね。毎週、凄く面白い人達がゲストで来てくれる。会いたい人に会える装置だって気が付いて。それが自分のメディアだったら、より素敵なことだし、楽しいことがたくさん起きるだろうと思って、ラジオ番組「風とロック」が一度終わった(2012年3月10日より復活)、2005年の3月から代わりに始めたんです。その時も前職の会社の人たちは「なんでそんなことやっているの?」って相変わらず言ってくれたので嬉しかったですね。

 

――独立と言えば、博報堂から前代未聞の“型破りな独立”として話題になっていましたね。

珍しい独立の形だったんですよね。通常、代理店を経て独立する人って、社内で広告賞とかを獲りまくってスーパースターチームに属している人がデビュー(独立)するのが定石なんですが、僕は全くそこにいなかった。でも、インタビューを受ける機会の中で「広告業界は今のままじゃダメだ」とか極端な発言をしていたら、「博報堂に箭内って面白い奴がいる」って仕事を依頼してくれる人が現れたりして、その延長で独立したんですね。それってこれまでには無い独立のパターンだったんです。

 

――沢山の伝説的エピソードは、インタビューや著作「クリエイティブ合気道」「8715692」をはじめ様々なメディアを通してご存知の方も多いと思いますが、箭内さんは前例のないことをどんどん実行していくイメージがあります。その原動力ってなんだったんですか?

散々、枠にハマって生きてきた後遺症だと思うんです。その頃は、誰もやっていないことや、敢えてやらないことを意識的にやっていましたね。「坂本竜馬になりたい」って思っていましたから。バラバラなものをくっつけたり、新しい時代を切り開くといった事に興味があったんでしょうね。青かったというか、若かったというか。微笑ましいですね、今振り返ると。10年経った今は全く違う気持ちなんですが(笑)。

 

――「月刊 風とロック」に戻りますが、取材、編集、写真、発行と全てご自身でやっている、というのも驚きです。周りには「手伝ってもいいよ」って言うその道のプロが沢山いらっしゃったと想像しますが。

1人でやっている理由は、人に手伝ってもらうのが申し訳ないなって思っちゃったんですよね。カメラマンにしても、本当だったらお金がもらえるはずなのに、これ、ギャラを払えないですし。だから、自分で撮り始めた。撮り始めると楽しくてしょうがなくなったんですよね。自分で撮ったものを自分でセレクトして、何ページで構成しようが誰にも相談しなくていい。それが凄く楽しかったですね。

人とモノを作るのはもちろん好きですけど、自分1人で作る感じが楽しくて仕方がなかった。自分で印刷代出して、出来上がったものを好きな人たちに見せたら喜んでくれて、それを欲しいって言ってくれる人が沢山いて、さらに楽しくなって、その繰り返し。

今、4ヶ月くらい休んでいるんですよ。それは、100号のためにお金を貯めているんですが、4ヶ月ブランクがあくと、調子が出ないというか、体がムズムズします。いつの間にか、生活の一部というか、人生の一部になってたみたいです。

 

――東日本大震災直後も休刊されていましたね。

あの時は2011年いっぱい休刊しました。「月刊 風とロック」に使っていたお金と時間を寄付しようって思ったんですよね。そのまま休刊もありだったかもしれないけど、“いつも通りに戻っていく”ってことも大切なことだと思うようになって。楽しいことは楽しいことで、幸せなことは幸せなことで、世の中から減らないようにするべきじゃないかって思って、2012年の1月号からまた復活したんです。

 

写真集「風とロックと写真
撮影:箭内道彦|PARCO出版|2014年5月8日発売|3,024円
「月刊 風とロック」からの2冊目となる写真集「風とロックと写真」。RHYMESTER、怒髪天、仲里依沙、吉高由里子、宮﨑あおい、BRAHMAN、長澤まさみ、神聖かまってちゃん、Taka(ONE OK ROCK)、真心ブラザーズ、奥田民生、小山田圭吾、樹木希林、大泉洋、峯田和伸、宮藤官九郎、香椎由宇、奈良美智、荒川良々、杉本哲太、週末ヒロインももいろクローバーZなど、約70組の写真を収録。

 

――それは被災地の姿とも重なる気がします。展覧会に合わせて、2冊目の写真集「風とロックと写真」も5月8日に発売されます。“ハマった写真”について教えてください。

自分にしか撮れない写真があるかもしれないって思えるようになってから、楽しくなったんです。本職じゃないから露出も計らないし、ブレブレだったりするけど、相手が無防備になってくれるというか、みんなが普段見れないアーティストさんの表情を撮れる。“特等席”って呼んでいるんですけど、せっかくそういう場所にいるんだったら、その表情を撮ろうと。

写真を撮る時は、シャッターを“好き好きボタン”って呼んでるくらい、被写体に対して「好きだ、好きだ」って気持ちで挑んでいます(笑)。で、特等席からの、普段は見ることの出来ない写真に、みなさんも「しょうがないな~」って掲載をOKしてくれるんですよね。

あるアーティストさんの事務所から聞いた話ですけど、通常はふざけた顔の写真の掲載はNGとしているため、ある雑誌からの掲載をお断りしたところ、「どうしてですか、「風とロック」にはああいう写真が載っているじゃないですか」ってクレームが来たとか(笑)。そういう、治外法権の切符の1つが0円ってことでもあるし、ただただ楽しくて作っているものだから、タレントさんもそれに乗っかって許してくれてるのかなって思いますけどね。100号を見返してみると、出てくれたみなさん、たぶん似た考えを持っている人たちなんですよね。

 

――本当に様々な方が登場されてますが、やはりミュージシャンが多いイメージです。箭内さんにとってどういう存在なんでしょう?

憧れの人です。ミュージシャンって僕にとって天使なんです。自分がなりたくてなれなかったものだし。やっぱり、面白い音楽って面白い人じゃないと作れないと思うんですよ。“ミュージシャン”ってジャンルの人間が好きなんだと思います。でも、読み返すと音楽の話なんてしていないんですよ。好きな食べ物とか味噌汁の具は何がいいとか、そんなことばっかだけど、そういう人間性を広告したいんですね。そんな人間の作る音楽は絶対素敵なはずだから。

 

――猪苗代湖ズとしてミュージシャンデビューされて、夢が叶いましたね。

猪苗代湖ズとして活動をしているけど、僕はミュージシャンとして音楽をやっているわけではなくてね、メッセージを届けるためなんですね。東日本大震災は予定されていたわけではないけれど、不思議なことに「月刊 風とロック」や仕事の中で繋がってきた人たちが、2011年に一緒に動いてくれた。福島にみんな来てくれた。2005年の創刊から6年目のことで、そのために用意された繋がりとは思いたくないんだけど、感じるものがありましたね。自分はここで何かするために、これまで色んな人と出会ったり、助けてもらったりしていたのかなって。

 

――そんな箭内さんは、これまで「僕には友達がいない」発言を凄くしてきていますよね。どういうことなんでしょう(笑)?

友達がいることに気が付き始めたのが2010年頃、確実に気が付いたのは2011年。それまでは本当にいないと思ってたから。

 

――それは仕事が忙しくて、プライベートがないが故に友達がいないということですか? それとも他人との距離感の取り方が独特なんでしょうか?

プライベートがないっていうのもあるけど、友達ってどれくらい仲良かったら友達なのか分からなかったんですよね、子供の頃から。小学校の時、「あなたの親友の名前を1人書いて提出しなさい」っていう、クラスの相関図を作る目的の凄い授業があって、その時に自分が書いた人が自分を書いてなかったらって思うと凄く怖くなって、多分そこからですね。それに、浪人が長かったからあんまり人に会いたくなくなったというか。そんなことしているうちに、悩みを相談したり相談されたりっていうのも嫌いになってきて。

でも、「友達がいない」発言をしていたら、猪苗代湖ズの山口(隆|サンボマスター)と松田(晋二|THE BACK HORN)に「箭内さん、友達いないって言っているけど、俺ら友達じゃないの?」って言われたんですよね。その時にハッとして。大反省しました(笑)。実際、この3、4年で友達が飛躍的に増えました。現在友達の数、二桁後半になります。

 

――裏返すと、それだけ人が好きだという事かもしれませんね。

人、好きなんでしょうね(笑)。自分としても意外な気付きでした。嫌だな、なんか恥ずかしいじゃないですか(笑)。

箭内流、人を巻き込むチカラ。豪華ゲストが登場する「〈生〉風とロック」

 

――展覧会の話に戻りますが、毎日凄い顔ぶれのゲストが来場し、「〈生〉風とロック」と称して公開取材が行われる予定ですね!

凄いですよね~、このラインナップ。みなさん、表紙になった人たちなんですが、お願いをしてみたら「やるよ」って言ってくれて、あんなに凄いメンバーが集まってしまった。ありがたいです。

 

――どんなトークになるのでしょうか?

まだ考えてないですが、前半は2人の馴れ初めを振り返ってみようかなって思ってます。これまで一緒に作ったCMや音楽の話とか。

他にもお笑い芸人から女優さん、ミュージシャンまで色んなゲストが登場します。楽しみです、ほんと。期間中発表を予定しているビッグニュースもあるので楽しみにしていて下さい。

 

――そうやって周りの人は箭内さんに惹き付けられてしまうようです。その秘訣はなんですか?

秘訣はない。心配してもらってる感じ。「0円でやっていて大丈夫なの?」って。心配してもらうっていうのが、一番ズルい巻き込み方なんですよね。もう一つあるとすれば、僕のポジションの曖昧さかな。裏方でありながら、時々表にも出て世間に晒されている、その両方を知っている感じが、珍しい存在というか、ちょうどいいのかもしれない。晒される辛さってあるじゃないですか。50号(2009年4月発行)くらいの時にふと思いましたね。

リアルタイム中毒で作るCMたち

資生堂 uno FIBER IN WAX「entertainment」
cd/dir: 箭内道彦、山本コージ|creative a: 資生堂|prod co: スプーン|post prod co: オムニバスジャパン|cam: 内田将二|ad: 丸橋桂|c: 村澤浩昭|羽生浩一、大桑仁、大越毅彦|pm: 石橋健太郎|l: 米井章文|set designer: 柳町建夫|sty: 伊賀大介|hm: 原田忠|off ed: 松本エイジ|composit: 定岡雅人|CG: リンダ|sound design: 増富和音|na: 谷啓、藤岡弘|m: 勝手にしやがれ
箭内道彦がクリエイティブディレクターを務め、52名のお笑い芸人を起用し、芸人がunoによってかっこよく”変身!”する話題となったCM。

 

――本職の広告、CMのお話も少しお聞かせ下さい。箭内さんはクリエイティブディレクター&監督としてCMを作られてます。

今は監督もほとんど自分でやっています。なぜかというと、「月刊 風とロック」を1人何役で作るときの速度感が自分にとってノーストレスだから。各方面と調整をしないで済む感じが心地いいんですよね。

例えば、黄色い背景を赤に変更しなくちゃいけない時、監督に言うの「悪いなー、監督にそんなことさせられない」って思っちゃうんですよ。でも、自分だったら赤に変えることを逆に楽しんじゃえたりする。

広告ってみんなの共同作業で、気を遣ったり、闘ったり、守りあったりしながら作っているんですよね。でも、現場にそういう対立構図をもう作りたくなくなっちゃったというか。クライアントも仲間だし、代理店も仲間だし、作っている人も、見る人も仲間だしって感じで今作っているんです。だから監督を兼任して、構図をシンプルにしているんです。

 

――速度感というワードがでましたが、一貫してしてリアルタイム感も感じます。

それはありますね。永遠の中毒、リアルタイムホリックなんです。その時、その場でしか見れないものや、今みんなが見たいものっていうのが絶対的に嫌いになれない。凄く丁寧に作られたフランス料理よりも、サっと料理された旬を食べる、天ぷらや寿司の方が好きなんですね。

リアルタイムというのはいつも意識してきたし、2011年以降更に強まっている。目の前のこの風景が永遠ではないんだ、目の前のこの人も永遠ではない、そういうのを記録して、残してみんなに見せたいっていう気持ち。いつ失うかもしれないこの今の輝きを撮り続けたい。もちろん、なくならないでほしいのですが。「月刊 風とロック」も同じ気持ちで作っていますね。

 

東京メトロ「東京グルメ篇」
dir/ex cd: 箭内道彦|a: 博報堂|prod co: 風とロック、すき あいたい ヤバい、東北新社|cam: 内田将二|cd/c: 稗田倫広|c pr: 平井真央|pr: 町田和幸、溝渕浩司|pm: 菊地聖|l: 米井章文|art: 柳町建夫|sty: 二見綾子|hm: 竹下あゆみ|off ed: 小林真理|on ed: 定岡雅人
2012年の東京メトロのCM。「行ってみないとわからない。行ったつもりが一番もったいない」というコピーにも箭内氏のCMに対する想いを感じる。

 

――それに加えて、近年では、箭内さんご自身と表現物に全くギャップがないようにも感じます。

一体になりましたね。そこが凄く変わったところですね。昔は、「クリエイティブ合気道」って言って、自分にはやりたいこともメッセージもなくて、商品やその広告を作る人のやりたいことを自分が膨らませてあげるんだって強く思っていたけど、やっぱり広告に想いやメッセージを、独りよがりでなくみんなで一緒に込めたいなって思うようになりました。

もうね、欲が全くないんですよね。「これを作ったら賞を取れる」とか「話題になるだろう」っていう欲がないんですよ。5~6年前は、「どんなの作ったら沢山露出されるかな? Yahoo!のトップに載るかな?」って考えていたけど、今はそんなことよりも、商品を作った人が「こういう広告を作ってくれてありがとう」って言ってくれて、その商品を手に取った人が「買って良かった」って、CMをきっかけにみんなが幸せになるってことが自分にとっての幸せなんですよね。相当老けたな~、俺も(笑)。そういうところが明らかに変わりましたね。昔は「画面を逆さまにしてでも目立ってやれ!」って勢いでしたからね。

やはり、全ての商品と全ての仕事は、人を幸せにするためにあると思うんですよ。桃屋の商品を食べて「美味しいね」って家族団欒に繋がったり、「よし! 明日から頑張ろう」って思ったりね。バイパスしていく手口や手法が、破壊から愛情に変わっていった。世の中もそっちを求めているんじゃないかって思ったし、体でそう感じてしまったんですよね。

もっと言うと、自分がかつてやっていたことへのアンチでもあります、今。破壊的だったりインパクトのあるCMに対して、自分がアンチテーゼをして、何も起きない優しいCMを作りたくなった。凄く愛の人になっていますね、僕。

 

ゼクシィ「ティザー篇」「Get Old with Me篇」
cd/dir: 箭内道彦|creative a: 風とロック、ロックンロール食堂|prod co: ロックンロール・ジャパン|pl/c: 稗田倫広|ad/designer: 佐藤孝好|pr: 内田現|cam: 内田将二|l: 米井章文
リクルートの結婚情報誌「ゼクシィ」のCM。内田裕也と樹木希林が夫婦でCM初共演を果たした。

 

――アンチ体質、天の邪鬼体質っていうのは昔から変わってないんですね(敢えて阪神ファンだったりとエピソードは多数)。内田裕也と樹木希林が登場する「ゼクシィ」のCMは、愛が溢れていますね。

結婚情報誌のCMを作ってくれって言われてたんですが、僕は全く分からないんですよ。

 

――それは結婚ということに対してですか?

結婚願望とかないので、全く分からない。「ごめんなさい」ってお断りしたら、ゼクシィの編集長が「そんな箭内さんが結婚したくなるCMって、どんなCMなのかな~?」って言ったんですよね。そうすると血が騒ぐんですよ。確かにどんなCMなのかなって。じゃ、結婚って何だろうっていうのを、希林さんと裕也さんに教えてもらおうというCMなんですよね。あの2人が共演するCMを撮っておいてよかったなーってすごく思いますね。

 

――その仕事を通して「結婚もいいな」って思われたりしないんですか?

瞬間的には「いいな」って思いました(笑)。その直前に、家族がテーマのビスコのCMを編集をしている時は「子供、欲しいな~」ってなりました。「あぶねーあぶねー」みたいな。CMってそういうものなんですよね。焼きそばのCMを作っている時って、焼きそばが食いたくてしょうがなくなるんですよ。自分がそれを何度も浴び続けるわけだから、自分が自分に洗脳されていく。騙されやすいんだと思います。

社名が消えた1年間。箭内道彦にとっての広告とは?

桃屋「さあさあ生七味とうがらし 山椒はピリリ結構なお味」
dir: 箭内道彦|a: 読売広告社|scd: 小林宏|cd: 野口卓矢|pl: 永野広志、今井俊介|c: 久武正直|pl: 小林宏、野口卓矢|casting: 福澤賢、早川茜|pr: 高田和浩、本橋周|pm: 加藤和紀、豊島優海心
歌舞伎俳優の“ラブリン”こと片岡愛之助を起用した箭内氏の最新作品。

 

――社名も雑誌も「風とロック」という統一された屋号ですが、「すき」「あいたい」「ヤバい」という会社も作られていますね。

2011年に、「月刊 風とロック」を休刊したとき、社名(風とロック)も「すき」「あいたい」「ヤバい」にしたんですよ。こんなに東日本が傷ついている時に、ロックじゃないだろうって思ったんですよね。“風”っていう字も風化や風評を連想しちゃうから、もっと優しい名前にしたくて。会社に掛かってきた電話に「はい、好きです」「はい、会いたいです」って受け応えする、それだけでも幸せが1つ増えるんじゃないかなって思ったんですよね。

ロックって、破壊とか疑うとか、許さないとか怒るとか、自分はそういうイメージを持っていたんですね。だけど、その年の9月に「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」っていうイベントをやったんですが、それを通して「ロックは実は愛なんじゃないか」って思えてきたんです。そういえば、清志郎さんも「愛しあってるかい!?」って言ってるよな~って。それで、2012年1月に、「風とロック」ってもう一回言ってもいいかもって思ったんですね。「風とロック」って名前がやっぱり好きって言ってくれる方々もいて。そういうわけで、会社の名前も1年間消えてました。

 

――裏方とフロント半々とおっしゃっていましたが、テレビ番組「トップランナー」の司会業をされた理由は?

当時、依頼のあった仕事は全部受けるって決めていた時期なんですよね。「なんで僕になんだろう?」って凄く思ったけど、断らないって決めてたから。それと、みんなが“箭内道彦”っていう素材をどう使いたいんだろうっていうことに凄い興味があったんです。「僕にMCをしろっていう発想ってなんなんだろう?」って、そこに興味があって、違う自分や面白い自分に出会えるんじゃないかなって思ったのはありますね。

メディアにどんどん出ていこうって決めたわけではなかったし、何か狙いがあったわけでもない。テレビが舞台だけど「トップランナー」は「月刊 風とロック」と結局同じ気持ちでやっているんですよね。ゲストがどんな魅力を持った人なのかっていうのを広告する30分間なんですよね。やっぱり、僕のやっていることってどれも広告なんだなって。それまでは“色んなことをやっている自分”って思っていたんですけど、誰よりも純粋に広告を作っているんだなって。

広告って、商品や人の魅力をみんなに鮮やかに見せていく仕事だって考えたら、2011年以降、猪苗代湖ズの活動も福島を広告しているんですよね。何かを伝えたり、忘れないでいてもらうためのメッセージや装置だったりするんですよね。そういう意味でも、猪苗代湖ズの紅白歌合戦出場はすごく大きくて。代理店に頼んでも買えない最強の枠で広告を流せましたから、出場出来たのは裏方としては凄く重要なことでした。日本中のたくさんの人が見ている時間に、自分たちが伝えたいことを伝える場をもらえたことは凄くありがたいなって思いました。

 

――そもそも出場は狙っていたんですか?

狙ってました。猪苗代湖ズはアーティストのレコード会社がみんな違うので、僕がプロモーターとして仕込んだり、広げたりしていたんですが、「今年は紅白に絶対出るから、絶対にカウントダウンライブの予定を入れないで」ってメンバーに言ってました。メンバーは「そんなのないだろ」って言ってたんですけど、ギリギリにオファーがきたっていう。

 

――その「出場出来るだろう」という手応えは何だったのですか?

意味のない確信ですね、使命というか。福島の湖の名前を背負って、「福島が好き」ってことを歌うんだったらそのくらいしなきゃいけないだろうっていう使命感が強烈にありました。

 

――自分の気持ちに素直に、ブレることなく、新鮮にお仕事をされている箭内さんに質問です。4月は新社会人の季節です。若い人に向けて「楽しく仕事をし続ける秘訣」を伝授ください!

「楽しくなんかないよ」って言いたいですね(笑)。「5、6年目まではそんなに楽しくないよ」と。大体、20代でいいことなんて何もないですよ、と先に言っておきます。

でも、20代が苦しければ苦しいほど、その後のリバウンドが来た時の勢いっていうのは物凄いんです。僕の周りで20代で面白いことをやった人は、もう(業界から)いなくなってる人もいる。だから、20代にどれだけモヤモヤを溜め込むか、もがいたり悩んだり落ち込んだりし続けるべきだし、型にハマったつまらないものも作っていかなきゃいけない。その過程で、事故にあったり病気になるとその後の計画が立たないので、健康や交通に気を付けて暮らして下さい。

自分も20代の経験には凄く感謝してます。二度と戻りたくないけど。今、40歳過ぎてから友達も増えたし、僕の青春は始まった(笑)。青春なんて、いつやってくるか分からない。40代で初めて青春だって言っているおじさんもいるんだと思って、20代をちょっと我慢して、頑張ってくれると嬉しいなと思います。

 

箭内道彦 月刊 風とロック展 ~愛と伝説のフリーペーパー、その神髄~
会期:2014年4月25日(金) - 5月6日(火・休)
時間:11:00 - 21:00(4月27日 ~20:00、5月6日 ~18:00)
入場料:0円
会場:表参道ヒルズ 本館 B3F スペース オー
東京都渋谷区神宮前4-12-10

 

取材・文:white-screen.jp

トップへ戻る

マイページログイン

デジタルスケープに登録する